2019/06/05 13:27
先日ある方が、
学生時代、美術部の周りのスペックのすごさに描くことをやめてしまったことがあると聞かせてくださった。
私も高校生のときに芸術関係の進路に進みたいと願ったけど、
親の言葉にそれを引っ込めた経験があるし、
誰かの凄すぎる作品に、
自分の画力の幼稚さを突きつけられて心底凹むことは多々あるので、
その気持ちは痛いほど理解できる。
でも表現をすることって、
本来呼吸をすることと同じくらい、
人間にとって自然な営みのような気がしてる。
純粋に自分の深部で感じた自分だけの感覚を露わにすることは、
ある種の神聖な行為。
だからそれに優劣をつけたり、
競わせる社会に違和感を感じる今日この頃。
こんな自分で表現してはいけない、
こんな自分を露わにしてはいけないと、
まるで罪を背負うように制限をかける。
それは、こんな自分では愛されるはずがないと、
自分を愛せないばかりに、
他人の愛さえ小さく見積もり、
勝手に決めつけてしまう傲慢さに似ている。
もちろん真実を晒して万人に愛されるわけではないことも現実で…
それでも愛されない自分を赦し、
同時に愛される自分をも許すこと。
愛されようが、愛されなかろうが、
ただ淡々と自分の真実を掴み、
己で愛でることをし続ければいいだけ☆
…ってわたしが私に伝えてくる笑。
その尊い命の音色を、
奏で響かせることを、
どうか自ら奪わないでほしい。
未完成でもいいし、
下手でも滑稽でもいい。
それでも喜びさえ失わなければ、
スペックが後から追いついてくることだってあるかもしれない☆
星月夜も2016年からそうして歩を進めてきました。
途中何度も引っ込めそうになったけど笑。
たった1人の自分さえ喜ばせることができない行動なら、
それが誰かの琴線に触れることもない。
誰に届けるでもない、
自分が自分に届け続ければいい。
理解されてたまるかってくらい、
突き抜けてみたいものです♬

トイレの絵を『愛慕』から『月虹』へ☆
インディゴブルーの夜空にチェンジしました。
虹がよく出現するハワイでも幻と言われるmoonbow★