2019/06/23 15:38

『祈り 〜永えの薔薇〜』





製作途中に少しずつ紐解かれていった今作の世界観の裏には、
ダンテの「神曲」があります。



第十天 至高天(エンピレオ)に、
『諸天使、諸聖人が「天上の薔薇」に集い、ダンテは永遠なる存在を前にして刹那、見神の域に達する』
とあります。



今回描いた薔薇窓のルーツと言われているのが、
この「神曲」の中で表現された
「至高天の天上の薔薇」



ダンテはこの天上の薔薇を見、
この世を動かすものは神の愛だと知ったとあります。




薔薇窓の中央にはキリストの像が入っているものがあり、
「神曲」における天国でも至高天(エンピレオ)は、
神を中心に世界がまわっているという様子になっていますが、
これはあくまで中世の時代の神中心思想。



無宗教の身から現代的な解釈をすると、
この「神」の部分は「己」に変換できるかと思います。
そうすると、
「この世を動かすものは神の愛」ではなく、
「神のような己の愛」というのが星月夜的な解釈となります。




すべては己を愛することから始まるということ。



自分自身を本当の意味で愛し、赦せてこそ、初めて他者を愛することが叶い、
豊かな循環が巡り、色鮮やかな世界が廻り出します。




自分を十分に愛せない間は、
依存や執着の関係を愛だと勘違いしてしまったり、
他者を自分の所有物のように支配しようとしてしまうことも。




ダンテが天上の薔薇を見て神の領域に達したように、
薔薇窓は己の神聖さ、
つまり本来の自分自身を思い出すきっかけを与えてくれる、
宇宙愛なのかもしれません。




ダンテが神曲を完成させた背景には、
生涯を通して想いを馳せたベアトリーチェという1人の女性への愛があったそう。




神曲の中で永遠の淑女として、
そして天上と地上を結ぶ導き手として描かれたベアトリーチェ。
ダンテは彼女の中に聖母のような女神性を見たのかもしれません。




ただ、あまりにも美しく、
あまりにも絶対的な引力を感じると、
人は自らそれを遠ざけてしまうことも。




傷つけてしまいそうで、
そして、傷ついてしまいそうで。



それほどまでに人は、
愛することを恐れるもの。




それでもその恐れを越えて、
愛することと愛されることの本質を見出すことを、自ら体験したいという願いが、誰もが根底に持っている真我。



たとえ愛されていなくとも、
二度と会うことが叶わなくとも、
それでも「愛していい」を許可することが、
どれほどの自分を救い、癒すかを、
多くは知らない。




それほどまでに愛せる自分に出逢えたことは、愚かなことでしょうか?
それを祝福できたとき、
命は踊り、歌いだすというのに。



人は誰一人例外なく、
この星で、愛したくて愛されたくて生まれてきている生命体。




どんな醜くて、エグくて、みっともない感情でさえ、
根っこを辿れば愛でしかない。
本当は愛したかった。
本当は愛されたかった。
そんな単純で愛しい生き物♡



愛し愛されることに命を使うこと。
それが人として一番真っ当な生き方であり、
使命の雛形です。



*・・*・・*



欲を叶え、願いを叶え、
そして人は祈りに達する。
下から上へと順に満ちた我が、
宙へと放たれる。
大いなる地から、大いなる天へ。



手を伸ばしていい。
二番でもなく、三番でもない、
一番欲しい自分を手に入れたとき、
人は溢れるように世界に差し出すことができるから。




この星に生を受けたヨロコビを、
この身体で生きるヨロコビを、
めいっぱい感じて、最愛を生きていい。



本当はずっと赦されていたことを、
愛されていたことを、
思い出すだけ。



この命に祝福を♡



*・・*・・*




ノートルダム、我らが貴婦人。
火災で失われた歴史と芸術を尊び、
愛を込めて。



岐阜の美濃和紙と、
金沢の純金箔を使用したこの子♡
日本の伝統美を携えて、
今作を英国ロンドンへ☆




☆星月夜☆